齋藤健一の危険運転糾弾

齋藤健一の危険運転への私見

運転能力が著しく衰えた老人へ

 齋藤健一から、運転能力がとてつもなく衰えた老人達へのお願いです。

 

 つーか、お前ら、「老人は若者達や中年達から尊敬されるべき存在だ!」と言うかもしれない。しかし、池袋暴走事故で若い母子を轢き殺した飯塚幸三みたいに、まだまだ生きられる命を奪ったのならば、それはもう、殺害したことになります。

 

 「わざとではない」という言葉は、被害者にとっては、何の救いにもなりません。お前が相手をわざと轢き殺そうが、運転ミスで轢き殺そうが、或いは障害者にしようが、どっちにしろ、相手にとっては、被害を受けたことに変わりはないのだから。

 

 自分自身で考えてみよう。もう老人のあなたが道を歩いていたとして、そこに、脇見運転の86歳の老婆が運転する軽自動車が突っ込んできたとしよう。それで、あなたは両足切断、片腕を根元から切断、口がズタズタにされて、もう一生死ぬまで流動食生活になったとする。

 

 そんな時に、相手の老婆が「すみませんねえ、わざとじゃなかったんですよ、だから許して下さいね、お互い、もう老人じゃありませんか」なんて言って来たら、あなたは素直に許すのかね?

 

 マジで、誰かを轢き殺したり障害者にする前に、重症を負わせる前に、とっとと車の運転から引退しろよ。相撲取りだって、引退は殆どが二十代か三十代だろう?

 

 車の運転が職業のドライバーだって、仕事としての運転は、ほぼ全ての人が、70歳前に引退していると思うのだが。

 

 今、私は移籍発掘のアルバイトの仕事をしていますけど、その職場にも、もう七十代でヨボヨボになってしまい、反応速度も遅くなったから、もう車の運転は一切していないし、自家用車も売り払った老人の方が働いていますけど。

 

 その人は、自宅から今の職場まで遠いけど、電車に乗って、あとは徒歩で職場まで来ていますけど。

 

 「自動車がなければ生活できない」とか頻繁に、車を手放そうとしない老人達は言い放ちますけど、果たして本当でしょうか。

 

 本音は、自由にどこへでも行ける車を手放したくはないだけでは?だって、食材も、今の時代ならば、配達サービスがあるし、ヘルパーのサービスもあると思うのだけど。それに、田舎だとバスが一時間に一本しかないとか言うけれど、じゃあ、時間を調整して、そのバスが来るタイミングで待っていればいいだけではないでしょうか?

 

 バスの待合所で、本でも読んで座って待っていればいいじゃん。で、停留所にベンチが無ければ、ベンチがある所にとりあえず座っていて、時刻が迫ってきたら、バスの停留所に、バスの到着時刻の五分前位に着くように出発すればいいだけではないでしょうか?

 

 マジで、喋って主張していることと、本音は、違うということに、早く気付いて下さい。とにかく、誰かを轢き殺してからでは、もう遅い。