齋藤健一の危険運転糾弾

齋藤健一の危険運転への私見

高齢者(老人)に運転免許の返納を決意させる動画

 高齢者、つまり老人というのは、自らの衰えを露骨に認めたがらない輩が非常に多いらしい。

 

 というのも、人間、自分の能力が上昇していく時の気分は良いのだが、能力が衰えて来ることは、とても恐怖でもあるが、恥辱でもあるだろうからだ。

 

 20代と40代を比べたら、そりゃ、トレーニングを全くしていなければ、普通は、ガクンと体力は歳を取った方が衰える筈だ。

 

 しかし、40代ならば、普通なら、まだまだ運転能力は衰えない。大抵のことは、運転も含めて、まだまだ出来る。

 

 しかし、流石に老人と呼ばれる年齢にまで生き永らえてしまうと、各種のことがどんどん出来なくなってくる。

 

 それは、悲しいと本人も認識している部分はあるだろう。非常にゆったりと、緩やかな老化であるが故に、その差は認識し辛いものだ。だって、25歳のとある日に寝付いたら、起きたらいきなり75歳になっていた、なんてことはないからだ。

 

 普通は、25歳から75歳までの老化の過程を経るには、50年間、つまり半世紀の時の経過を要するからだ。

 

 その間、ゆったりとした時の流れと共に、自分自身の精神も、老齢に照準が合ってくる。

 

 でも、精神は老人になったとはいえ、やはり、中年の頃まで出来ていたことがどんどん出来なくなってくるものだ。私の自宅の老いた猫も、若い時は凛々しくて、自身の身長の数倍もの高さへ、ひょいとジャンプして飛び乗れたのだが、年老いた今となっては、もうそのような芸当は全く出来ない。数倍の高さどころか、二倍程度の高さもジャンプ出来なくなっている。

 

 まあ、猫の場合には、車を運転する訳ではないので、家猫の場合には、動作がゆったりするだけだ。しかし、人間の年老いた個体の場合には、自分自身の肉体は反射神経も含めて老化したくせに、自動車という文明の利器を使えば、物凄く俊敏に移動することが可能なのだ。

 

 つまり、今までの人間の歴史ならば、年老いれば、たとえ馬に乗馬しようとも、やはり老人では、若い頃のようには進まないだろう。若者が駆る馬には、老人が乗った馬は、同じ程度の体力の馬同士ならば、追いつけないだろう。

 

 だが、金さえあれば、たとえ88歳だろうが、98歳だろうが、自動車を所有して運転することが可能なのだ。つまり、肉体の老化を補って余りある程のパワーを得られるのだ。まあ、自動車の場合、たとえ軽自動車であっても、そのパワーは凄まじいが故に、大変に危険なのだが。

 

 ということで、マジで、老人達は、運転するのは止めてくれ。いつかは必ず死ぬ時は来る。それよりも大分前に、いつかは必ず、自動車の運転が出来なくなる時が来る。それは完全に運転操作が不可能になる時という意味ではなく、それ以前に、まともに危険回避が出来なくなる、安全運転が出来なくなるという意味での運転が不可能になるということだ。

 

 つまり、誰かを轢き殺す前に、もう車の運転からは引退してくれよ。いずれは完全自動運転の自動車がトヨタとかから発売されるだろう。しかし、現時点ではまだそんな車は未発売だ。故に、肝心なのは数十年後の未来の話ではなく、今、年老いたあなたが車を運転しない決意をすることなのだから、今、もう運転免許を即刻返納してくれよ。

 

 みんなの為に。勿論、あなた自身の為にも。